セキスイハイムM1について

私とM1の出会いはフルブライト制度で滞米した25年前、シカゴのIITにおいてであった。そのときセキスイハイムM1のパンフレットを見たことで1984年に建設業の工業化とロボット化の研究のため日本に行くことになり、東大の内田教授の世話になった。そこで大野勝彦氏に出会い、セキスイハイムのいくつかの工場とその建設現場を見て回ることになった。

M1システムの歴史的意義

ル・コルビュジェは「造成、煉瓦積み、大工、造作、タイル貼り、配管等々時間の掛かる工程に沿った作業を待っているわけにはいかない。丁度フォードが自動車を組立てるように、家は、工場の中で機械工具を用い、ベルトコンベヤの上で組立てられた一つの部品として完成されるべきである」と述べた。1919年に彼は工業生産が大規模に建築を手がけ、住居の各部を量産技術で製造すべきであると言った。ワルター・グロピウスは、大量の良質で安価な住居を工業化されたプロセスを用いて、より良いより安価な住宅を建設できると信じていた。彼は1940年代に、コンラッド・ワックスマンと組んでプレハブパネルハウスをカリフォルニア州のジェネラル・パネル・コーポレーションで作ろうとした。この計画は、バックミンスター・フラーの ウイチタ・ハウス(Wichita House)と同様に、最新の科学技術に基づく製造設備を利用しようとする試みであった。

プランニングとデザインの多様性

大野勝彦氏と積水化学は1960年代に、この考えを更に1歩進めた形で、手造りと工場生産をたくみに組合せ実践し、量産注文建築を創り出した。従来のプレハブが単調なデザインとなるのに反して、セキスイハイムM1ではプレハブ化度が最高水準でありながら設計の自由度は高かった。

家一棟の部品は、自由な設計を可能にする200万種の中から選択されている。この優位点が、50万戸以上の住宅販売に成功するもとになった。

工業化生産の開拓

大野勝彦氏と積水化学が開発したセキスイハイムM1は、その90%が工場で仕上げられるコンパクトでプレハブ化されたボックスユニットから作られ、それによって設計の自由度と多様性を確保している。

セキスイハイムM1開発の考え方は、経済性、建設のスピード、工場生産による高品質、現場工事の削減にあった。セキスイハイムM1の発明以前は、最も単純なプレハブ化の形は、在来建築又は一般的にオープン・ビルディング・システムと見なされる建物において、標準市販部材を使用することであった。プレハブのもう一つの概念は、より一般的には、大型部材の大量生産と結びついている。この概念が成立するには、工業化された部材と組立方法を継続して繰り返し用いることが要求され、その結果単調な外観の建築になっている。しかし、こうした建築の開発は、繰り返し用いられる仕様の部材と寸法の標準化を促した。量産化が可能となると、ひとたび部材の設計が完成し生産工程ができあがれば、繰り返される生産において各種部材作成の熟練工を必要としない自動化された機械の工程に置き換わった。このことは、建築部材を製造する際の許容誤差を小さくすることにつながり、人為的なミスを無くすことになった。

部材の大量生産と工場組立てを活用したセキスイハイムM1の出現は、高品質で低価格な住宅へと直接に結びついている。

2005年1月 ミュンヘンにて

トーマス・ボック、教授(東京大学工学博士)

ミュンヘン工科大学建築及び建築情報学講座

 


経歴

トーマス・ボック

1957年2月16日
ドイツ フライブルグ生

1977年〜1983年
ドイツ シュツットガルト大学で土木(2年)及び建築学研究

1978年
(シュツットガルト大学)軽量構造物研究所(フライ・オットー教授)で
5室管による可動運河ブロック材の企画とテスト

1979年
ジャン・プルーべ アトリエにて、フランス パリの「クリシー人民の家」の復旧企画

1981年〜1982年
米国シカゴのイリノイ工科大学でフルブライト奨学金授与。
論文:「シカゴ都心部向けの多目的高層ビル」
(マイロン・ゴールドスミス教授、ファツラー・カーン教授)

ボストンのハーバード大学の最優秀米国論文賞を授与

1982年〜1983年
ヒューストン大学及びNASAにおける環境センターでラーリー・ベル教授
の下で宇宙ステーション設計

DAAD奨学金(ドイツ学術交換サービス)

ドイツ フライブルグの木造多家族住居

1983年〜1984年
スペイン バルセロナにおける鉄筋コンクリートの商業・集合住宅ビル

1984年〜1989年
文部省奨学金、東京大学「工学博士」

1989年
(4月〜10月)フランス パリにおけるCNRS(国立科学研究センター)での「研究員」

1989年(10月)
ドイツ カールスルーエ大学土木学部の建築管理における

1997年(9月)
オートメーションに関する助教授職

1990年〜97年
建築におけるロボット工学についての技術移転センター設立

1990年
据付式組積工事ロボット

1991年
ヨーロッパ共同体一般指令13委員会のコンサルタント

1992年
プレキャストコンクリートパネル多機能生産ユニット

1994年
可動式ヘビーデューティーロボット

「ROCCO」エスプリ3 6450

1997年11月以降
ミュンヘン工科大学建築学部で建築具体化、及び情報科学講座担当教授

2000年
モスクワの建設・建築アカデミーより金賞受賞

(2000年以降)中国研究助成金協議会の査定員

2001年
サンクト・ペテルスブルグのロシア科学アカデミーのメンバー

2002年
ベラルーシ コンピューター科学アカデミーのメンバー

2003年
カナダ工学科学国立協議会の査定員

2003年
南部ロシアのノヴォチェルカスク大学の名誉教授

2004年
ドイツ ヴィースバーデンのNPOプレファブ研究協会理事

2005年
ロシア建設アカデミーのメンバー

迅速な建設システム、ロボット工学、遠距離操作による建設に関する研究プロジェクト数件は、
EU、連邦研究省、建設省の後援によるもので、合計金額は2百万ユーロに達する。

200を超える英語、ドイツ語、フランス語、日本語、ロシア語などによる出版物、他。

編集ボードメンバーになっている書籍:建築における自動化(エルゼビア出版)、
ジェサ(フランス、エルメス出版)、バウインフォルマツク(建築出版)、
ロボット化(ケンブリッジ大学出版)、土木及び管理、戦略的資産管理

ドイツにて、応用研究のためのフラウンホファー研究機構で、
自分自身の建設管理及び技術に関する科学シリーズの編集者

 

2005年4月 ミュンヘンにて  T.ボック